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大阪高等裁判所 昭和35年(う)299号 判決

被告人 辻正男

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役五月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

検察官の控訴趣意について

論旨は要するに、原判決は、被告人が昭和二八年七月頃より同年一〇月下旬頃までの間に有効な旅券に出国の証印を受けないで本邦より本邦外の地域たる中華人民共和国に向け出国した、との出入国管理令違反の事実を認めながら、犯人が国外にいるというだけでは刑事訴訟法第二五五条第一項前段の時効進行停止の効果は発生せず、その時効の進行が停止するにはなおその外に捜査官においてその犯罪の発生及びその犯人を覚知して、これを訴追しうる状況になければならないとして、本件においてはかかる要件を欠いたまま右出国の時から右出入国管理令違反罪の公訴の時効期間三年を経過したからその時効は完成したものとして同罪につき被告人に対し免訴を言渡したが、同条項の「犯人が国外にいる場合」の時効の停止には「犯人が国外にいる」という事実以外には何等の要件を必要としないのであつて、従つて本件については被告人が国外にいたというだけでその期間時効の進行は停止せられ本件公訴提起のあつた昭和三三年七月二六日までにはその時効は完成していないのに拘らず、原判決が前記のような理由により被告人を免訴したのは同法条の解釈適用を誤つたものであつて、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄せらるべきである。というのである。

よつて原判決の出入国管理令違反の部分を検討すると、原判決は所論のような理由で本件出入国管理令違反罪につき免訴の言渡をなし、そのしかあるべき所以を縷々説示しているのである。しかし刑事訴訟法第二五五条第一項(犯人が国外にいる場合又は犯人が逃げ隠れているため有効に起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知ができなかつた場合には、時効は、その国外にいる期間又は逃げ隠れている期間その進行を停止する。)は、文理上、犯人が国外にいる場合には、時効は、その国外にいる期間その進行を停止するとの趣旨であることは疑いなく、この場合犯人が国外にいるだけで、公訴時効の進行がその国外にいる期間停止するものと解するのが最も自然であり、原判決のいうように国外にいることの外に、捜査官において犯罪の発生及びその犯人を覚知してこれを訴追しうる状況にあつたことを要件とするとの解釈は、一見合理的であるようにも見えるが、元来刑事訴訟法第二五五条第一項前段は、犯人が国外にいるときは我が国の捜査権が及ばないが故にその国外にいる間は無条件に時効の進行を停止しようとしたものであると考えられ、かつそのように規定することも必ずしも時効制度として合理性がないとはいえないのであつて、原判決のような解釈は立法論としてはともかく、現行法の解釈としては到底採るをえないものというべきである。のみならず原判決のいうような「捜査官において犯罪の発生及びその犯人を覚知してこれを訴追しうる状況」というような主観的な要素を含む要件は、その覚知の主体は個々の事件担当の検察官であるか、その他の捜査官をも含むものかどうか、その要件が充されているかどうかは如何なる手段・資料によつて判断されるか等の点で甚だ明確を欠くものであつて、客観的に明確でなければならないものと考えられる時効の進行停止の要件中にかかる要件を持ち込むことは、法秩序の混乱を来たすのみである。以上の理由により、刑事訴訟法第二五五条の解釈については、その余の論点について判断するまでもなく、原判決の見解は妥当とは言えないのであつて、犯人が国外にいることだけで、公訴の時効の進行は停止するものと解しなければならないのである。(同趣旨のものには大阪高等裁判所刑事二部昭和35・2・23及び同刑事一部昭和35・8・5の各判決その他がある。)そして本件記録及び証拠によれば被告人が帰国したのは昭和三三年七月一三日であつて、同年七月二六日に本件出入国管理令違反罪についての公訴の提起があつたことが明らかであるから、原判決が前示のような理由から、同罪につき既に時効が完成したものと解して、被告人を免訴したのは、刑事訴訟法第二五五条の適用を誤つたものであり、この誤りは原判決全部に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判官 奥戸新三 塩田宇三郎 青木英五郎)

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